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| ■■Report #104 | ▲Report index | ||
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広島県福山市から沼隈方面に県道72号線を走って いかにも平家に関係ありそうな名前である。 福山市沼隈町中山南にある横倉地区。 平安時代末期、一ノ谷の戦いで討ち死にしたとされる平通盛(みちもり)とその妻、小宰相(こざいしょう)たちが逃げ延びたとの伝説が残り、平家谷と呼ばれている。 これは是非行かねば!と、へなちょこ歴史探索隊の3人は出かけた。 矢印の通り、左折して平家谷方面に向かうと、八日谷ダムがある。 八日谷、という地名は、通盛が屋島の合戦から落ち延びる途中、この谷に八日潜んでいたことから、八日谷の名がついたといわれている。 ここで我々は、 信じられない光景を目の当たりにした…!(あの読み方で) |
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→ 拡大。 |
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それから少し走ると、赤幡神社がある。 看板には、『この谷では、平家の旗印の赤を尊ぶ風習があり、古くから白いものを嫌った。現在でも氏神の御幣や垂に赤い紙が使われており、その名残を忍ばせている。』とある。 「白鷺さえも舞い下りず」と言われているそうだ。 |
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この神社には、平家の赤幡(あかはた)が祀ってあるそうだ。 |
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そして我々は再び、走り出す。 そしてまたちょっと困った看板を目にした。 ←この案内看板に対する例の赤い説明看板がそばにあった。 読んでみよう。
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気を取り直して。 |
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素敵な林道を引き返し、また元の道へ戻ると、さらに奥へ進む。
少し道が開けたところに再び看板が。
つばき園、福泉坊、広場、弓場の案内が。
そういえば、来る途中で「的場」ってあったな…と思ったが、遠すぎるので違う的場なのかも。 |
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| ▲射場 | ▲射場からの眺め | ▲殿方の前 |
「弓場」は、結構急な坂道の上にあった。 |
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ちなみに福泉坊は、高台にあるお寺で、平通盛の遺子秀盛から十五代目の秀裔が、平家歴代の菩提を弔うために建立したものだそうだ。 境内には通盛の妻、小宰相の墓がある。 春には樹齢約250年といわれる巨大なエドヒガン桜(しだれ桜)が咲くことで有名なので、是非その時期に行きたい…。 |
ちなみに、看板に描かれていた平家蟹。 |
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| ▲通盛手植えの松と言われる 「喜勢の一本松」の4代目。 |
▲かつての通盛神社があったところ 「古宮」 |
▲蛭が流した黒い血からその名がついた 「黒血山」 |
▲八日谷から逃れて来た一行と落ち合い、 ともに生きていたことを喜び合ったという 「喜勢」 |
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