■■Report #54 Report index



日本何大火祭り?




広島県福山市鞆の浦。
今年も、市の無形民俗文化財に指定されている『お手火神事』があるらしい。


いつあるのかな〜と検索していると、7月12日と判明。
そしてその説明には「日本三大火祭りのひとつ」という言葉が。

へぇ!日本三大火祭り
ん?
三大、ということは、あと二つは…?

「日本三大火祭り」で検索。
「鬼夜」「鞍馬の火祭」「那智の火祭り」などがヒット。
ん?
1、2、3…あれ?いくつあるんだ?
イヤ待てよ、『三大』の基準って一体ナニ…?
こ、これは…!
さっそく調べなくては!
こんな身近にあった『日本三大○○』をこの目で見て、三大の基準を確かめるべく、我々は鞆の浦に向かった。

神事の舞台となる沼名前(ぬなくま)神社、通称「ぎおんさん」に着いたのは夕方6時ごろ。
海沿いの市営駐車場から、ゆっくり参道を歩いて大鳥居をくぐった時には、すでに太鼓の音が鳴り響いていた。
打ち手は地元の小学生。
体操服で一生懸命打っている姿は微笑ましい。


その後、大人に代わり、7時、8時に太鼓が鳴る。
それを合図に本殿で起こした火が神前手火につけられると、いよいよ祭りの始まりだ。
薄暗くなる頃から次第に集まり始めた参拝客は、この頃一気に増え、祭りムードが一気に盛り上がる。
手火とは、たいまつのこと。
大手火より一回り小さい神前手火に、本殿で起こした神火が移される。
それを白装束の数人が担ぎ、一気に階段を駆け下りる。
階段の下には、大手火が3体置いてあり、今度は神前手火の神火がこの大手火に移される。
これを鞆町の氏子の7つの町の内の3つが毎年交代で担ぐ。
本殿より出てきた神前手火。階段を一気に駆け下りる。 大手火3体。大手火は長さ約4メートル、重さは150キロあるらしい。

火のついた大手火を、氏子達が担いで、今度はゆっくりと石段を登っていく。
氏子の若者が担ぐのが基本だが、高齢化が進んでいるのか(笑)結構年配の男の人も多かった。。。
まだ若いモンには譲らん!なのか、まだまだ若い!のか…?

ちなみに神殿前のこの石段、約50段程なのだが。
通りすがりのカメラマン達の会話。
「で、これ何時くらいまであるの?」
「ん〜?8時に始まって、3時間くらいで3体上がる」
さ、3時間?
50段3時間?!
いやまさか。

大手火を担いだ氏子達が、石段を一進一退しながら担ぎ上げる。
お手火は、高く火の粉を舞い上げ燃え上がる。
火を直に担いでいるのだから、相当な熱さだろう。
時折周りの者が、担ぎ手の頭からバケツで水をかける。
動きがとまると、担ぎ手を奮い立たせるかのように掛け声が上がる。
お手火を担ぐもの、水をかけるもの、周りを囲む氏子達、神火を持ち帰ろうと、小さいたいまつを手に近づくもの、この瞬間を収めようとカメラを手に近づくもの。
そしてそれを一歩下がったところで眺める参拝者と観光客。
大手火は一段上がっては、また下がり、右へ、左へ、ゆっくりと、ゆっくりと上がっていく。
1体目のお手火が境内まで上がると、担ぎ手たちは神輿を出し、拝殿に収める。
それが3体目まで繰り返され、3体揃ったときには、午後11時になろうとしていた。
50段3時間…。
嘘じゃなかった…。

参拝者たちは、その神火を小さなたいまつに移し、各々の家に持ち帰る。
これは厄除けになるという。
また、燃え落ちた木片も厄除けになるということで、立てかけられた大手火の下から黒く焦げたカケラを拾い、持ち帰っていた。

3体揃った大手火は、今度はそれぞれの町に持ち帰られ、町内を清めて神事の終わりとなるようだ。

気付けば、あんなにいた参拝者はいつの程にか居なくなり、後は観光客が名残惜しそうに見守り、関係者は片づけを始めている。
私も、小さな木片を貰い、帰路に向かう。


家に帰り、まだ興奮冷めやらぬ面持ちで、今日の目的を思い出していた。
三大が何かって?

しかしあの雰囲気は心地よかった。
あの太鼓の音も。
掛け声も。
舞い上がる火の粉。
人々の歓声。
こもる熱気。

神輿の納められた、神聖な空間。
提灯を手に、揃いの法被で神事を見守る氏子達。
小さなたいまつを手に、家路に向かう参拝者が、光の道を作る。
瞼の裏で燻る光景。
それは、ふとした瞬間に再び赤く燃え上がる熾火のような、強烈な印象を残した。

は、怪しい魅力でもって我々を引きつける。
花火、焚き火、送り火、キャンプファイヤーの火、蝋燭の火、提灯の火、灯篭の火、そして祭の火。
その火を眺めているときの感情は様々で、意味も役割も位置付けも違ってくる。
祭りの火にも色々意味があって、それを何の基準で順位付けるか、なんて考えてみるとおかしな話だ。
そこに行って、その場で何か得るものがあったなら、それはその人にとって大きな事で、それでいいのかな、なんて考える。
誰がいくつ見て決めたんだ、と反論するのも馬鹿らしい。
あの炎を思い出すと、ちょっと神憑り的なモノに触れて、器が大きくなったのか?
もう日本何大火祭りでも良い気がした。

そういって、今回も『三大』とは何ぞやの答えをごまかそうとしているように見えるが、まったくその通りである。
答えは、
 何大火祭りでも良い。
そういうことだ。
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